[福井県福井市] 北ノ庄城(Kitanoshou-Castle)

北ノ庄城 復元模型 福井県
北ノ庄城 復元模型 ※撤去済み

北ノ庄城は天正3年(1575年)、越前の一向一揆平定の功により織田信長から
北ノ庄一帯を与えられた柴田勝家によって、足羽川と吉野川(現在の荒川)の合流点に
築城が始められました。勝家は自ら縄張りを行い、堀の一部に両河川を取り込んだ、
当時としては最新鋭の城郭でした。

天守は7重(一説に9重)とも伝えられ、豊臣秀吉が記した書状にも「天守が九重」との
記述が残るなど、安土城に匹敵する壮大な城であったといわれています。

天正11年(1583年)、賤ヶ岳の戦いで羽柴秀吉に敗れた勝家は
北ノ庄城に敗走し、秀吉軍に包囲されました。勝家は妻・お市の方に城外への
退去を勧めましたが、お市はこれを拒んで運命をともにすることを選び、
三人の娘(茶々・初・江)だけを城外へ逃した上で、同年4月24日、夫婦で自害しました。

落城の際、城には火が放たれ建物のほとんどが焼失し、
その後は丹羽長秀らが城主を継ぎましたが、慶長6年(1601年)に結城秀康が
同じ地に福井城を築いたことで、北ノ庄城としての歴史は幕を閉じました。

お城の豆知識

  • 天守は7重(一説に9重)とも伝えられ、安土城に匹敵する規模だったといわれる
  • 豊臣秀吉が記した書状に「天守が九重」との記述が残っている
  • 柴田勝家と妻・お市の方は、天正11年(1583年)4月24日に城内で共に自害した
  • お市の方は自害の前に、三人の娘(茶々・初・江=浅井三姉妹)を城外へ逃した
  • 落城の際に城は焼け落ち、正確な縄張りは今も分かっていない部分が多い
  • 平成10年(1998年)頃の柴田神社の発掘調査で石垣の一部が見つかり、この地が城跡であることが確認された
  • 結城秀康が同じ地に築いた福井城とは、規模も構造も異なる別の城とされる

城データ

【お城情報】
名称 北ノ庄城(きたのしょうじょう)
Kitanoshou-Castle
別名/愛称 北庄城、庄城
所在地 〒910-0006
福井県福井市中央1丁目21-17(柴田神社境内、伝承地)
(旧:北陸道越前国)
築城年 天正3年(1575年)
廃城年 天正11年(1583年)
築城者 柴田勝家
主な城主 柴田勝家(その後、丹羽長秀、堀秀政、青木一矩)
城の形式 輪郭式平城
指定文化財 なし
天守の現状 城跡(天正11年/1583年焼失。正確な位置は特定に至っていない)

マップ

観光情報

北ノ庄城跡は、現在の柴田神社・北の庄城址柴田公園として整備されており、
発掘調査で見つかった石垣の一部や、勝家とお市の方・浅井三姉妹を祀る社殿を見学できます。
福井駅から徒歩数分と、アクセスの良い立地です。

【お城営業案内】
開館時間 柴田公園・境内は常時参観可(社務所受付は9:00~17:00頃)
入場料 なし
休館日 なし
その他 最新情報は福井市公式観光サイトをご覧ください。
柴田神社(北庄城址)(福いろ)

情報更新日:2026年8月31日

近隣の観光スポット

  • 柴田神社(福井市)- 柴田勝家とお市の方を祀る、北ノ庄城跡に建つ神社
  • 三姉妹神社(福井市)- 茶々・初・江の浅井三姉妹を祀る、柴田神社境内の摂社
  • 北の庄城址・柴田公園(福井市)- 発掘調査で見つかった石垣などを公開する史跡公園
  • 福井駅(福井市)- 恐竜モニュメントで知られる、北ノ庄城跡のすぐ南に位置する玄関口
  • 福井城跡・福井県庁(福井市)- 北ノ庄城の跡地に結城秀康が新たに築いた福井城の跡
  • 養浩館庭園(福井市)- 福井藩主の別邸に造られた、国指定名勝の池泉回遊式庭園
  • 福井市立郷土歴史博物館(福井市)- 北ノ庄城・福井城や越前の歴史を紹介する博物館
  • 一乗谷朝倉氏遺跡(福井市)- 勝家以前にこの地を治めた朝倉氏の城下町跡が残る国特別史跡
  • 丸岡城(坂井市)- 現存12天守のひとつに数えられる、日本最古級ともいわれる天守
  • 東尋坊(坂井市)- 断崖絶壁が続く景勝地として知られる名所

関連サイト

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