千早上は元弘2年/正慶元年(1332年)に楠木正成により築城されました。
本城である上赤坂城の詰城として築かれました。
南北朝時代を描いた「太平記」でも描かれる「千早城の戦い」の舞台にもなった城で、
激しい籠城戦が行われましたが落城しなかった堅固な城でした。
しかし明徳3年(1392年)に北朝方の畠山基国に攻められ、落城したことにより廃城となりました。
お城の豆知識
- 日本100名城の1つに数えられる(55番)
- 楠木正成が築いた城「楠木七城」の一つ
- 金剛山の支脈の先端に築かれた山城
城データ
名称 | 千早城(ちはやじょう) Chihaya-Castle |
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別名/愛称 | 金剛山城(こんごうさんじょう) |
所在地 | 〒585-0051 大阪府南河内郡千早赤阪村大字千早 (旧:畿内和泉国) |
築城年 | 元弘2年/正慶元年(1332年) |
廃城年 | 明徳3年(1392年) |
築城者 | 楠木正成 |
主な城主 | 楠木氏 |
城の形式 | 連郭式山城 |
指定文化財 | 国の史跡(昭和9年/1934年 指定) |
天守の現状 | 城跡 |
マップ
観光情報
千早城跡はいつでも自由に観光できます。
バスまたは麓にある駐車場を利用した車が便利です。
100名城スタンプは、金剛山麓「まつまさ」にあります。
開館時間 | いつでも |
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入場料 | なし |
休館日 | なし |
その他 | 最新情報は公式ページをご覧ください。 国史千早城跡(千早赤阪村公式サイト) |
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