福井城は慶長6年(1601年)、徳川家康の次男で越前68万石を与えられた結城秀康によって、
かつて柴田勝家が築いた北ノ庄城の跡地に新たに築城が始められました。
勝家の城は天正11年(1583年)の賤ヶ岳の戦いの後に焼失しており、秀康の城は規模も構造も一新した、まったく別の城です。
築城には諸大名を動員した天下普請が用いられ、6年の歳月をかけて慶長11年(1606年)に完成しました。
本丸には4重5階の望楼型天守が築かれ、高さは天守台を含めて約37mに達したといわれています。
当初「北ノ庄」と呼ばれていましたが、寛永元年(1624年)、3代藩主・松平忠昌が「北」の字が「敗北」に通じ縁起が悪いとして、
「福居」、のちに「福井」へと改めました。これが現在の県名「福井」の由来にもなっています。
寛文9年(1669年)の大火で天守は焼失し、以後再建されることはありませんでしたが、
本丸御殿などは幕末まで存続しました。明治になり廃城となった後、本丸跡には現在の福井県庁が置かれ、
石垣や堀の一部は往時の姿をとどめています。
お城の豆知識
- 柴田勝家の北ノ庄城とは規模・構造の異なる、まったく別の城として新たに築かれた
- 本丸・二の丸の縄張りは徳川家康自身によるものと伝わる
- 天守は4重5階の望楼型で、天守台を含めた高さは約37mに達した
- 県名「福井」は、3代藩主・松平忠昌が縁起の悪い「北ノ庄」を改めたことに由来する
- 本丸にある井戸「福の井」が、地名「福井」の由来のひとつとも伝わる
- 本丸跡には現在、福井県庁・県会議事堂・県警察本部が建っており、城跡に県庁がある全国でも珍しい例
- 西側を守る「山里口御門」は平成30年(2018年)に復元された
城データ
| 名称 | 福井城(ふくいじょう) Fukui-Castle |
|---|---|
| 別名/愛称 | 北ノ庄城(きたのしょうじょう) ※築城当初の呼称。柴田勝家の北ノ庄城とは別の城 |
| 所在地 | 〒910-8580 福井県福井市大手3丁目17番1号(本丸跡) (旧:北陸道越前国) |
| 築城年 | 慶長6年(1601年) |
| 廃城年 | 明治4年(1871年) |
| 築城者 | 結城秀康 |
| 主な城主 | 結城氏(越前松平家) |
| 城の形式 | 輪郭式平城 |
| 指定文化財 | なし |
| 天守の現状 | 城跡(天守台のみ現存。天守は寛文9年/1669年焼失) |
マップ
観光情報
福井城跡は福井県庁の敷地内にあり、本丸周囲の石垣や内堀を間近に見ることができます。
西側の山里口御門は復元建物として公開されており、福の井など城内の見どころもあわせて巡ることができます。
県庁舎の周りを歩く形になるため、平日は執務中の建物に配慮した見学が必要です。
| 開館時間 | 城跡は常時見学可(山里口御門は9:00~19:00) |
|---|---|
| 入場料 | なし |
| 休館日 | 城跡は無休(山里口御門は年末年始休館の場合あり) |
| その他 | 最新情報は福井市公式観光サイトをご覧ください。 福井城山里口御門(福いろ) |
情報更新日:2026年8月31日
近隣の観光スポット
- 福井県庁(福井市)- 福井城本丸跡に建つ、城跡に県庁舎がある全国でも珍しい例
- 山里口御門(福井市)- 平成30年に復元された、福井城本丸西側の枡形門
- 養浩館庭園(福井市)- 福井藩主の別邸に造られた、国指定名勝の池泉回遊式庭園
- 福井市立郷土歴史博物館(福井市)- 福井城や越前松平家の歴史を紹介する博物館
- 柴田神社(福井市)- 柴田勝家を祀る神社。北ノ庄城の石垣や遺構も残る
- 北の庄城址・柴田公園(福井市)- 柴田勝家ゆかりの北ノ庄城の跡地を整備した公園
- 福井駅(福井市)- 恐竜モニュメントで知られる、福井観光の玄関口
- 一乗谷朝倉氏遺跡(福井市)- 戦国大名・朝倉氏の城下町跡が残る国特別史跡
- 丸岡城(坂井市)- 現存12天守のひとつに数えられる、日本最古級ともいわれる天守
- 東尋坊(坂井市)- 断崖絶壁が続く景勝地として知られる名所
関連サイト
- 福井城山里口御門(福井市公式観光サイト「福いろ」)
- 福井城山里口御門・福の井利活用事業(福井県公式)
- 福井城(Wikipedia)


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