水口岡山城は、東海道を見下ろす古城山(通称・城山)の尾根に築かれた山城です。
天正13年(1585年)、豊臣秀吉が家臣の中村一氏に命じて築かせ、
甲賀郡を治める拠点としました。
秀吉が東国へ目を向けるうえでの足がかりとなる城でもありました。
中村一氏は城下に町を整え、のちの東海道の宿場町・水口のもとをつくります。
天正18年(1590年)には増田長盛、文禄4年(1595年)には長束正家が城主となりました。
二人はいずれも豊臣政権の五奉行に名を連ねた人物で、
この城が政権にとって重い位置にあったことがうかがえます。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは、長束正家が西軍につきました。
敗れて城に籠もったものの、池田長吉や亀井茲矩らに攻められて
降伏・開城し、正家は弟とともに切腹しました。
城はまもなく廃され、石垣は江戸時代初めに築かれた水口城の
資材として運ばれていきました。山は水口藩の御用林として手つかずのまま守られ、
石垣や堀切がよく残ったことが高く評価されて、
平成29年(2017年)に国の史跡に指定されています。
お城の豆知識
- 古城山の標高は約283メートル、ふもとからの比高はおよそ100メートル
- 城主を務めた増田長盛と長束正家は、いずれも豊臣政権の五奉行に名を連ねた人物
- 廃城後、石垣は江戸時代に築かれた水口城の資材として転用された
- 江戸時代は水口藩の御用林となり、人の手が入らなかったため遺構がよく残った
- 国の史跡に指定されたのは平成29年(2017年)2月9日で、甲賀市では4件目の国史跡
- 平成25年(2013年)から甲賀市教育委員会が発掘調査を行い、石垣や枡形の跡、城を壊した「破城」の跡が確認された
- 山頂の本丸には、大型の建物があったことを示す礎石が東西の端に残る
- 日本遺産「忍びの里 伊賀・甲賀」の構成文化財のひとつ
- 市民有志団体「水口岡山城の会」が毎年4月に期間限定で設置する巨大バルーンの模擬天守が名物
城データ
| 名称 | 水口岡山城(みなくちおかやまじょう) MinakuchiOkayama-Castle |
|---|---|
| 別名/愛称 | 古城山城、岡山城、古城(通称「城山」) |
| 所在地 | 〒528-0005 滋賀県甲賀市水口町水口(古城山) |
| 築城年 | 天正13年(1585年) |
| 廃城年 | 慶長5年(1600年) |
| 築城者 | 中村一氏 ※豊臣秀吉の命による |
| 主な城主 | 中村一氏、増田長盛、長束正家 |
| 城の形式 | 連郭式山城 |
| 指定文化財 | 国の史跡(平成29年〈2017年〉2月9日指定) |
| 天守の現状 | 城跡(遺構のみ) ※本丸に大型建物の礎石が残るが、天守の姿は分かっていない |
マップ
観光情報
水口岡山城跡へは、近江鉄道の水口駅から登山口まで徒歩10分ほど、登山口から山頂の本丸跡までは15〜20分の登りです。
山には遊歩道が整備され、本丸北側の石垣や堀切、喰い違い虎口などを見て歩けます。
南西側の国道307号沿いに無料の古城山観光駐車場(数台分)がありますが、登城路は案内表示が少なめなので、地図を用意しておくと安心です。
| 開館時間 | いつでも ※山道を歩くため、明るい時間帯の見学をおすすめします |
|---|---|
| 入場料 | なし |
| 休館日 | なし |
| その他 | 最新情報は甲賀市公式ページをご覧ください。 国史跡 水口岡山城跡について(甲賀市公式ホームページ) |
情報更新日:2026年10月12日
近隣の観光スポット
- 水口城跡(甲賀市)- 徳川家光の上洛の宿館として築かれた城。水口岡山城の石垣が使われた
- 東海道水口宿(甲賀市)- 三筋に分かれた町並みが残る、東海道五十三次の宿場町
- 水口神社(甲賀市)- 水口の町の鎮守として古くから親しまれてきた神社
- 大池寺(甲賀市)- 小堀遠州作と伝わる蓬莱庭園。サツキの刈込みが大海と宝船を表す
- 甲賀流忍術屋敷(甲賀市)- 甲賀五十三家筆頭・望月氏の旧邸。からくりの残る忍者屋敷
- 甲賀の里忍術村(甲賀市)- 忍者の衣装で修行体験ができるテーマパーク
- 油日神社(甲賀市)- 甲賀の総社とされる古社。社殿など5棟が国の重要文化財
- MIHO MUSEUM(甲賀市)- 信楽の山あいに建つ、I.M.ペイ設計の美術館
- 滋賀県立陶芸の森(甲賀市)- 信楽焼の体験工房や美術館がそろう文化施設
- 信楽の町並み(甲賀市)- たぬきの置物で知られる信楽焼のふるさと
関連サイト
- 国史跡 水口岡山城跡について(甲賀市公式ホームページ)
- 古城山(水口岡山城跡)(滋賀県観光情報公式サイト)
- 水口岡山城(Wikipedia)

コメント